ママの神様
最近、世知辛ちゃんとクリーピー(映画)を見に行ったことをきっかけに北九州監禁殺人事件のルポ文庫を読みました。
それをきっかけにたくさん、小さい頃のことを思い出します。
私が小学生〜中学生の頃、家にはたくさんのオバサンたちが入り浸っていました。母親の信仰していたカルトの信者たちです。
母親はそのころ、40歳前後でしたがオバサンたちはだいたい40-60代でにこやかな人が多かった。私は玄関のすぐ横にある客間に挨拶をしてから部屋に戻るのが日課になりました。
カルトにはだいたい「地区」というものがあり、その中でもリーダー的な信者が決まっています。たぶんどこの団体も同じじゃないかと思います。
うちの地区のリーダーはAさんでした。60代の人当たりのよい、やわらかい笑顔。うちに来るオバサンたちに慕われ、母親もAさんが言うならと言うことを聞くような、見ていて不安な気持ちになる有様でした。
Aさんは一時期Bさんを部屋に匿っていました。私は幼かったので詳しいことはわからないけど、Bさんは病気でほぼ寝たきりで、Aさんの部屋の簡易ベッドに寝かされていました。
私は母親に、毎日のようにAさんの家に行って神様にお祈りするよう言われていたのでよく顔を合わせましたが隣の部屋で寝ていることもありました。
結果的にBさんは亡くなりました。私は顔を合わせるだけでそれほど関係があるわけでもなく、母親か家に来たAさんから「Bさんが亡くなった」と知らされただけ。
寝たきりになるほどの病気なのに病院に行かず神様信じてたら、そりゃ死ぬよねと小学生の私は思っただけです。母親のこともうさんくさい。神様なんて都合がいい。
AさんはBさんを殺したんでしょうか。
Bさんはそれほど拒んでいるように見えなかったけど、望んであそこにいたのか家族に押し付けられたのか家族がいないのか私は全く知りません。
母親が信心しているカルトに、私も入れ、父親も入れろとAさんは母親に吹き込んでいました。信じた母親は本当に馬鹿です。
何が北九州監禁殺人事件に関係があるのかというと、家族じゃない誰かの言うことを頭から聞く人間が家族にいるというところです。
そして、うちの学区はそんな家庭がゴロゴロありました。小学校にも中学校にも、私のような被害を親から受けている子供がたくさんいた。あまつさえ、教師が信者だったこともある。私は何回か宗教施設で部活の顧問に挨拶したことがあります。
そういうことをしていると私のように、歪んだ子供ができあがるわけですね笑
10歳でリストカットを覚え以降私は現在25歳になるまでやめられていません。全身に刃物傷があるし、セックスを覚えてからは誇れるような恋愛をしていません。恋愛じゃないけど、、、笑
ただし、私はまだ学区内の子供の中ではマシな方です。うちの母親と同じカルト信者の親から、「殺すぞ!」と虐待されていた同級生もいたし、今住民票を移して行方不明の人もいるそうで。
母親のカルト信仰は、私が22の時に足を血まみれにし、「やめてくれないなら死ぬ」と迫ったことで終わりを迎えました。
いつしか父親に隠れて(私からはまるわかりでしたが)信仰するようになっていたので、父親は気づかなかったといいその時初めて話し合いに加わりました。
馬鹿です。離れて暮らす祖父母も気づいており、私も当然父親は気づいているものだと思っていました。
今でも、言い訳だと思っています。
あの頃、Aさんがうちを乗っ取ろうとしていなくてよかった。Aさんは神様を信じていた。自分の治療も拒否して神様が治してくれると本気で思っていた。
母親はいろんな人に翻弄されて、娘に首吊りされて今何が残っているんでしょうね。
今Aさんがどうしているのかはわかりません。でもきっと同じところに住んでいる。私の実家から徒歩5分圏内にいる。
早く死ね。